ノンフィクションであることに意味はあるのか
ひきこもり漂流記~人生断捨離日誌~
というブログさんがある。
ひきこもりの加持鉄男さんの書いているブログで、引きこもり暦10年の30歳男性が、「両親が定年退職したのを機に2015年3月末までの家賃前払いと現金100万円を残して消息不明」になってからの日々をつづるブログである。
文体がユーモラスで、ついつい引き込まれてしまうブログである。
しかし、読んでいて思うのは、これ本当にノンフィクションなの?ということで。
相当に「お話」のセオリーを踏まえているブログなのだ。
両親がいなくなって主人公がひとりになる、という出だしは、有名どころでは両親が豚になってしまう「千と千尋の神隠し」があるが、かなり基本的な出だしである。
ラノベでもアニメでも両親がちゃんと存在している作品は少ない。
両親が存在する=主人公はなんらかの庇護下にある ということなので、ぶっちゃけ、面白くないのだ。
ドキドキハラハラ感に欠ける。
引きこもりという存在は両親の庇護のもとで存在するが、逆にいえば、両親がいなくなるということは、主人公が絶対的に孤独で不安定な存在になるということを意味する。
現代社会にける「敵に王さま・王妃さまを殺され、外の世界に出ることを余儀なくされた王子」という物語の王道中の王道ともいえる筋書きなのである。
また「100万円」という資金と「2015年3月末までの家賃前払い」という設定もきいている。
2015年4月以降はもう家がない、という「期限の設定」はハリウッドで多用される方法であり、危機感(スリル)を味わえる。また、100万円という資金があることで、どんどん減っていく資金に対するドキドキハラハラ感があるし、逆にその資金を活かして何をするのか?という形で次の転換へつなげることもできる。
さらに今流行りの「断捨離」をいれているのもキャッチーだ。はてな界隈では「ミニマリスト」をよく見かけるようになったが、「断捨離」「ミニマリズム」というのはもう一種の思想である。宗教である。
思想や宗教というものは人を惹きつける。
王道を踏まえながら、流行のキャッチーな小道具も取り入れる。
さらに「加持鉄男」というHNは(予測だが)「家事手伝い」をもじったHNではないだろうか。名前のもじりは推理小説界で多用される手法であり(名探偵コナンの名前の適当なつけ方を思い出してほしい)、これも小説的手法である。
しかもブログめっちゃ読みやすいし。
主人公のキャラがたってて面白いし。
ノンフィクションだったらすごいが、フィクションでも面白いから許せる。
彼がこれからどうするか楽しみで仕方ない。