「助けて」という言葉には千金の価値がある
「助けて」といえない人間だった。
どこかで周りを見下していたのかもしれない。(冷静に考えれば見下されるべきは自分だ畜生)
そもそも自分がどうしたいのか何がしたいのか何を求めているのかわからなかった。
だから助けを求めることが出来なかったのかもしれない。
姉に言われた。お前は感謝が出来ない人間なのだと。
けれど思う。一体何に感謝すればいいのだと。私がやりたかったことなんて一つもやらせてもらえなかったじゃないか。全部全部全部全部お前らに押し付けられたことじゃなかったかと。
NOといえなかった。ただ「行かない」「やらない」ことでしか拒絶の意思を示すことが出来なかった。
「行かない」「やらない」ことがすでに意思表示なので、「だから助けて」とはならなかった。
やりたいことがあって、何を求めているか自分で自分がわかってて。
それで、はじめて「助けて」がいえる。
そして「助けて」といえて気づいたこと。
世の中は助けたい人であふれている。
「助ける」ことは人間にとって生まれながらに備わった喜びであるということ。
だからこそ、人間はこんなに複雑ですばらしい(そして醜い)世界を作り上げることができたのだということ。
(相手に「自分、利用されてるんじゃ……」って思われたら終わりだけどね! あと自分が人を助けることも大事)
だから、「助けて」と言ってもいいのだということ。
「助けて」と言ってその人が聞いてくれなくても、どんどんいろんな人に「助けて」といってもいいということ。
(人を頼ってばかりで自分が何もしない人は、「助けられる」ことで自分の価値を確かめたい、「助けられること」を求めてそれに価値を見出す人なんじゃないだろうか)
そして必ず助けは得られるということ。
助けが得られない場合、たぶん「助けて」という先が間違ってるのだ。